メスを持たない日には

外科医の、寄り道

日本にはない、アメリカ人の「ノリ」

オリエンテーションの受付風景

渡米して1か月が経った。早い、すごく早い。2月末のタイ旅行から3月の結婚式、そしてアメリカへの引っ越しという今思い返せばクレイジーな3か月だった。

2週間前にやっと就職前の健康診断等が終了し、就労許可が出た。日本でも、どの会社に入っても最初に行われるのは「オリエンテーション」だろう。

私の属するNorthwell Healthグループは毎週100人超の新入職員がおり、毎週月曜日にオリエンテーションが行われている。そして驚くべきことに、毎週CEOがやって来て2時間くらいの講演をする。このCEO、もともとはアイルランドの貧しい農場で牛の乳搾りをしていたという。その後アメリカに渡り、肉体労働をしながら教育を受けてのし上がり、今の地位に就いたそうな。正にアメリカンドリームここにあり

オリエンテーションは「双方向性」を重視しているらしく、1テーブルあたり6人のメンバーで色々議論をしてグループ発表をしながら進行していく形式だった。例えば「あなたがこれまで受けた患者体験で良かったことは?」とか「あなたがこれまで受けた患者体験で疎外感を味わった体験は?」とかをみんなでシェアする。

司会がその都度、「誰か自分の体験をシェアしたい人はいますか?」「これについてどう思いますか?」と皆に発言を促す。日本においてはこの状況で、自ら立ち上がってマイクを要求することはほぼ100%ないだろう。たいていの場合は司会者が「誰もいないようですので、では〇〇テーブルの方!」と指名して渋々発言、というパターンがお決まりのはず。
 しかし、アメリカでは違う。必ず何人かは率先して前に出る者がいて、臆さずに結構プライベートな自分の体験談をシェアし始めるのである。中には感極まって涙を流し始める者も。そんな時にも、聴衆の中には「大丈夫、頑張って」とか「みんなちゃんと聴いているわよ」とかの励ましの言葉をかける者がいる。終わった時には温かい拍手と共に、「彼の体験を聴いて自分も思うところがあるのでー、」とコメントをシェアする者がいたり。
 でももっと興味深いことに、聴衆のなかには興味がなさそうな者もいるし、恥ずかしそうにしてあまり発言をしない、まさしく日本の大多数と同じような層が。これはどういうことだろう。アメリカ人はみんな目立ちたがりで、発言好きであるならば司会者の収拾がつかないくらいにガヤガヤと盛り上がってもいいはずなのに。そうはなりそうにない。

私はこの状況にこそ、アメリカという国の最大の強みが隠されていると思った。それは「多様性と寛容性」である。ある一定数の「恥ずかしがり」がいても、また一定数の「目立ちたがり(便宜上こう表現している)」がいる。「興味がない者」の一方で同じくらいの「興味がある者」がいる。もっと言えば、私のような移住者がいれば、生粋のニューヨーカーがいる。黄色人種も黒人もヒスパニックも。みんな当然、違った考えやユーモアの感覚を持っていて、それを表現することは自由であり、それらの相違を均して普遍化するのは不可能である。彼らは普遍化することよりも、多様性を認め、許容することで上手く社会を成り立たせている。それがアメリカの良心であり、時にすれ違いから問題も起こるが、なんとか認め合える寛容な社会を目指そうと努力しているのだ。その精神が失われればUnited States of AmericaがUn-nited States of Americaになるということであり、アメリカは崩壊してしまうだろう。

 もちろん、ニュースを観ればアメリカも様々な国内問題に悩まされているのは明白である。「多様性と寛容性」の裏にはいろいろな歪があるはずで、幸いにもそれを私はまだ目の当たりにしていないのだが、今後この国を観察する中で感じたことがあればまた記事にしてみたいと思う。