メスを持たない日には

外科医の、寄り道

神戸お散歩@布引遊園地

先週火曜日の夕方のニュース「おかえり」のコーナーで、布引の滝を紹介するコーナーがあった。
そのコーナーによると、布引の滝やハーブ園のある一帯は明治時代には「布引遊園地」と呼ばれて神戸市民に親しまれていたという。ちなみに三宮近辺にはもう一つ「遊園地」があって、それはルミナリエで知られる東遊園地であり、こちらは当時居留していた西洋人たちの運動するための広場として作られたという。現代で遊園地というと、ジェットコースターやメリーゴーランドのあるレジャー施設のことだが、「公園」という西洋の概念がまだ浸透していなかった明治初期には今でいう公園のことを「遊園地」と呼んでいたそうな。

そんな布引遊園地は明治5年の開園というから、今から実に150年以上もさかのぼることになる。
当時はまだ戦争と言えば戊辰戦争を指し、しかも驚くべきことに廃刀令が発令されるよりも前の時代であったので、遊園地には腰に刀をぶら下げた者や、刀を捨て西洋風の出で立ちで暮らす者など、実に様々な格好をした人たちが歩いていたことだろう。
考えただけでロマンあふれる、素敵な光景である。

そんなことを考えていると、歴史散策が大好きな私は居てもたってもいられず、早速週末にいつもより少しだけ早起きをして遊園地まで歩いてみることにした。
奇しくも私の住まいは東遊園地の近所であるので、三宮の中でも特に西洋を感じる市街地から、明治維新間もなきころ日本人によって開かれた自然公園の中へゆく、趣深い午前なのであった。

新神戸駅の裏手には布引遊園地へとつながる道がある

とはいえ、猛暑の中神戸の坂をひたすら上るのは気が引けたので新神戸駅までは地下鉄で向かうことにした。
多くの神戸市民のように、私にとって新神戸駅は大学時代から身近に存在するものの、ただの新幹線駅という程度の認識だった。
恐る恐る、いつもの乗り場へ続くエスカレータを通り過ぎて外に出ると、そこには初めて目にする大きな文字で布引の滝へと続く道筋が示されていた(写真)。

架線の下をくぐって、山の斜面に建つ民家を通り抜けるとすぐに林道が始まっている。
つい10分前まで居た、三宮の喧騒など嘘のようだ。
少しひんやりとした風がそよぐ。木々が見下ろす道は、いつ落ちたのか分からない湿った枯葉が積もって柔らかくなっている。
水の音が聞こえたかと思うとすぐに、雌滝(めんたき)と呼ばれる滝に到着した。
最近では街中であまり見なくなったシロテンハナムグリを見かけ、嬉しい気分になる。

雌滝を過ぎると、ほどなく雄滝(おんたき)に出会う。
朝の10時、地元のおじいちゃんおばあちゃんや外国人の観光客がちらほら。神戸に泊まって、布引の滝を見に来るなんてきっと自然が大好きな人たちなのだろう。

雄滝(おんたき)と、手前の夫婦滝。こんな滝が新神戸にあったとは。

朝のうちに綺麗な滝と、涼しい自然に触れられて幸せな気分になり、もう少し足を延ばして見晴らし展望台まで登ってみることにした。
生き物が好きな私は、木々や地面に目を凝らしてゆっくりと歩いてゆくが、カブトムシやクワガタには出会えない。
その代わり、手すりの裏で休むウスバカミキリや、土の上をあるくオオヒラタシデムシ、大人になるにはまだかかりそうなオオカマキリの幼虫、壁を登る美しいニホントカゲなど、普段見ることのできない生き物に出会うことが出来た。

見晴らし展望台へ続く山道

固まった心が溶けてゆくのを感じながら、見晴らし展望台に到着するとそこは開けた小さな広場になっていた。
快晴の青空の下、新神戸タワーマンション、三宮のビジネス街、ポートアイランドから神戸空港に続く橋の先まで見渡すことが出来た。

木々の合間から三宮市街、ポートアイランドを抜け神戸空港を望む

見晴らし展望台からの景色も最高だったが、もう少し登ったところにある山道から振り返ると、木の間から神戸の街が見渡すことが出来る。
ここまで来ればもう涼しさはどこ吹く風、汗だくなのであるが、明治の時分に同じ場所に立って振り返った人には全く違う景色が見えたはずである。


変わらないものは青い海と空。

これから時々は、ここに来ようと心に決めた。