さて明治時代に行われた廃藩置県のまえ、兵庫県は摂津・丹波・播磨・但馬・淡路の五つの旧国に分かれていた(下図)。
これを見ると、兵庫の顔である神戸市や西宮市、尼崎市は全て「摂津国」に含まれていたことになる。すなわち、大阪駅~神戸駅までの阪神間の大都市は全てこの国の領域内で、加えて大阪市の大部分も摂津国であった。
このことからも、摂津国は皆さんが持つ「関西」「大阪」「神戸」のイメージ全てを凝縮した、関西の代表国と言って良いであろう。
また甲子園球場や鳴尾浜球場もこの地域にあり、明治以前にプロ野球が存在したならば、阪神タイガースは「摂津タイガース」と呼ばれていたかも知れない。
その他の国に目を向けるとどれも全国的な知名度はなさそうである。
平均的関西人*1がその場所をイメージできるのは、黒豆とイノシシの国「丹波国」とイングランドの丘と明石海峡大橋のある「淡路国」であり、生粋の関西人*2でもせいぜい但馬牛や城崎温泉のある「但馬国」くらいのものではなかろうか。
さて、こうなると分が悪いのが「播磨国」である。姫路市・加古川市・明石市を擁し、現・兵庫県における西側大都市圏を形成しながらも、大阪市や神戸市といった「摂津国」の民からはいまだに「姫路って、ヤンキー多いとこやろ?」とか「加古川って新快速止まるん?」とか「明石の人って、明石焼きばっか食べてるん?」と言われて相手にされない。
さらには当の播磨国出身者であっても、(それが女性なら特に)合コンの場では突然「神戸出身」などと恥も外聞もなく取り繕ったりするのである。
東側の播磨国ですらそういう始末であるから、姫路市よりもっと西部となると摂津国の民からすれば「多分一生行かへん」と言われたり、「新快速網干行きって、、ホンマに網干に行く人おったんや」と意図せぬ歓心を買ったりする未開の地のような扱いを受けることもある。
私は摂津国の隣国であり、播州弁と並んで「ガラの悪い方言」とされる河内弁を話す国の生まれであるが、かつては姫路のことを「ヤンキーしかおらへん」と心無い見方をしていた。
しかし、しかしだ。摂津国以外の、「神戸以外」の兵庫県の魅力を存分に知ってしまった今だからこそ、すべての大阪人・神戸人は見識を改めるべきであると私は声を大にして言いたい。
この多様性を尊ぶ現代においてこそ、この素晴き、愛すべき「辺境の旧国」に広がる素晴らしい歴史と文化に触れ、同じ関西人としての同胞意識を育む時なのだ。